木下 万暁 (1976年-2023年)を追悼して

私達の同僚であり、またよき友人や師でもあった木下万暁が、すい臓癌との短くも厳しい闘いの末、去る2023年7月9日に永眠いたしました。

木下は東京の企業法務コミュニティにおけるキーパーソンの一人であり、彼と共に、または彼の相手方として仕事をしたことのある方はその理由をご存じのことと思います。
木下の早逝は、コミュニティに大きな喪失感をもたらすものと思います。

探究者として

木下の父親は弁護士でしたが、木下自身は決して最初から弁護士になるつもりだった訳ではありませんでした。木下は慶應義塾高校時代、その情熱をアメリカン・フットボールに注ぎました。大学でもフットボールを続けるにはバルクアップしなければならない、というコーチの助言に従い、木下は大いに食べましたが、結局彼の185cmの体格に見合う体重を付けることはできませんでした。

大学入学とともにアメフトの厳しい練習から解放された木下は、その関心を勉学へと振り向けました。慶應義塾大学の法学部法律学科には入学できなかったにもかかわらず(高校時代の成績不足は彼も認めるところでした)、木下は在学中の最初の受験で旧司法試験に合格しました。当時の合格率は約3%であり、大学在学中の初受験者の合格率は更に低い約0.2%でした。

司法試験の合格後、驚くべきことに、22歳の木下はすぐに司法修習には行かずに、アメリカに行き、英語力を磨き、日本以外の世界を見て、自分が人生で何を成し遂げたいかを考えることにしました。当時、司法修習への参加を遅らせることは野心的な若い法曹志望者にとっては極めて稀であり、周囲の多くはこの判断に反対しましたが、彼の決心は揺らぎませんでした。木下はニューヨークに行き、英語学校に通いつつ空手を(そう、よりによってアメリカで)習い始めました。木下によれば、流暢な英語はこの空手道場のお陰だということです。

大手事務所の弁護士として

日本に帰国し、司法修習を修了後、木下は再び常識にとらわれない選択をしました。若手弁護士が外資系法律事務所に入るのが珍しかった時代に、木下はPaul Hastingsに入所することにしたのです。木下は、外資系事務所でも日本人弁護士が活躍できることを示すことを目指し、実際にO’Melveny &Myers及びWhite & Caseでパートナーとなってこれを実現しました。また、木下はLegal 500(2011年以来)及びChambers(2014年以来)においてM&A/コーポレートにおける優れた実務家として認められ、特にChambersではBand 2における最若手の弁護士となりました。また直近では、Asia Business Law Journalによる「日本におけるトップ100人の弁護士」にも選出されました。

このほか、木下の優れた業績の一つとしてプロボノ活動があります。O’Melveny & Myers及び White & Case においてプロボノ活動の責任者を務め、また第一東京弁護士会の公益活動運営委員会の委員長を務めたほか、IBA(国際法曹協会)のプロボノ委員会の会計係やアジアにおけるリエゾンオフィサーを歴任しました。2011年の東日本大震災後の復興支援の一環として、日本財団による、国内初となるソーシャルインパクトボンドの発行も手掛けました。

こうした公的な活動にとどまらず、木下は身近な人に対してもその奉仕の精神を忘れませんでした。東日本大震災後の初出社の際には、日頃から弁護士を支えてくれている図書スタッフの恩に報いるため、O’Melvenyの東京オフィスの全弁護士にEメールを送り、図書スタッフが出社する前に地震で散乱した図書の片付けをすることを呼びかけました。

小規模事務所の弁護士として

2015年、木下は、今日の優れた国内・外資系法律事務所を創設した先駆者たちのキャリアの軌跡を振り返り、彼らが独立した時の年齢に自分が近づいていることに気付きました。そして当時のマーケットに欠けており、かつ法律業界において独自性の際立つ事務所、すなわち日本法と外国法の弁護士による、クロスボーダー業務に特化したブティックファームを立ち上げることを想像し始めました。こうしてサウスゲイトは3名の弁護士により創設され、日本で初めての日本法・外国法の弁護士により共同で設立された事務所となりました。

サウスゲイトにおける業務スタイルは、それまでとは全く異なるものでした。たとえフィーが少額であっても、他の事務所が提供できない価値をサウスゲイトが提供できると考えれば、喜んで受任しました。印刷コストを抑えるために事務所のイメージカラーを白黒にし、タクシーに乗るのを止めて地下鉄やシェアバイクを好んで利用するようになりました。ビジネスクラスに乗るのも止めました。また趣味の山中湖でのウェイクボードを再開し、様々な武術も始めました。マイクロファイナンスを提供するスタートアップである五常・アンド・カンパニーには設立当初から助言を行い、取締役を務めました。

働き方を変えたことで、木下は初めて、子供より先に寝てしまうことなく、絵本の読み聞かせを終えられるようになりました(それまではいつも、絵本を読みながら子供より先に寝てしまっていました)。また次男を小学校受験のための塾に入れる代わりに、フィールドトリップや課外活動を中心したプログラムを自分で作ったりもしました(ちなみに次男は無事小学校入試に合格しました)。

そして勿論、木下は最も高いレベルで実務をこなし続けました。彼は自身の名声、才覚、スキルやその恵まれた体格に乗じて他者を威嚇することは決してせず、落ち着いた声でロジックや良識、常識に訴え、ゼロサムゲームではなく常にパイを大きくすることを目指しました。

また彼は現実的な解決策を探すことを常としていました。クライアントが不合理な主張をするときには穏やかに窘め、それでもクライアントがこだわるときには、全力でその主張の合理性を示し、最終的には相手方を納得させることができました。

サウスゲイト創業時のオフィスにて撮影した写真(2016年2月)

サウスゲイト創業時のオフィスにて(2016年2月)

メンターとして

木下がサウスゲイトを創設した理由は、クライアントのためだけでなく、弁護士業界のためでもありました。木下は、サウスゲイトがクロスボーダー業務に関心を持ちつつ小規模事務所の環境を望む、進取の精神に富む弁護士のプラットフォームになることを望んでいました。木下はサウスゲイトに入所したメンバーの(時には入所しなかった方の)キャリアを支援することに注力しました。執筆やメディアのインタビュー等の機会があった際には、自身だけではなく若手メンバーに光が当たるように心を砕いていました。

また、木下は母校であるデューク大学ロースクールを強く誇りに思い、サウスゲイトの同僚の2名もそれに感化されてLL.M.プログラムに入学する程でした。アソシエイトがTOEFLのスコアメイキングで苦労していた時には、その難しさを思い出すために自分自身でTOEFLを受けてみることまでしました。

木下は周りの全ての人を、より優れた弁護士、よりよいリーダー、より力強いビジネスマン、そしてよりよい人間に成長させることができる人物でした。

癌患者として

木下は根っからの楽天家であり、8か月におよぶ癌との闘病中もそれは変わりませんでした。初めて診断を受けた時、彼はそれを人生の新たなステージ(息子、学生、弁護士、夫、父親、事務所の創業者、そして癌患者)であり、自分の新たな側面を発見し、新たな経験をする機会と捉えて受容することとしました。病状の厳しい見通しについては明確に認識しつつ、業務上のやり取りにおいては、心の内で抱えていたかもしれない恐怖や絶望を表すことは決してありませんでした。木下は、亡くなる直前まで仕事関連のメールへの返信を続けました。返信していたメールの中では、(笑)の文字を多用し、同僚である私達に負担をかけることをいつも気にしていました。

木下の最後のメッセージの一つは、私達への励ましの言葉でした。

「私の好きな言葉に、(アメフトの名コーチとして知られる)ヴィンス・ロンバルディの『1インチの積み重ねがチャンピオンを作る』というものがあります。1インチずつ、少しずつでも前に進めるように、事務所のこと、宜しく頼みます!」

木下は、彼の大学時代からの恋人でもある妻、3人の子供、妹、両親、また国内外の法律、ビジネス、フットボール等の分野における多数の友人を残してこの世を去りました。

人は、誰もその人の話を口にしなくなったときに本当に亡くなるのだといいます。
その意味では、木下は私達の誰よりも長く生き続けるのだと思います。

赤坂氷川神社での初詣で撮影した写真(2023年1月)

赤坂氷川神社での初詣(2023年1月)

略歴

1976年10月2日 石川県小松市に生まれる
1980年 ~ 1983年 武蔵野市中央幼稚園
1983年 ~ 1989年 練馬区立立野小学校
1989年 ~ 1992年 練馬区立石神井西中学校
1992年 ~ 1995年 慶應義塾高等学校
1995年 ~ 1999年 慶應義塾大学法学部政治学科
2000年 ~ 2001年 福岡、埼玉県和光にて司法研修
2001年 ~ 2005年 太陽法律事務所(Paul Hastingsとの特定共同事業)
2004年 ~ 2005年 Duke Law School (LL.M., cum laude)
2005年 ~ 2013年 O’Melveny & Myers (Tokyo, New York)
2013年 ~ 2015年 White & Case (Tokyo)
2016年 ~ 2023年 サウスゲイト法律事務所・外国法共同事業

受賞歴等

司法試験合格
(1998年10月)

Duke Law School LL.M. cum laude, LL.M.卒業生代表スピーカー
(2005年5月、日本人初)

カリフォルニア州司法試験合格
(2005年11月)

O’Melveny Values Awards受賞
(2008年、日本人初)

Legal 500: Corporate M&A – recommended key individual
(2011 – 2014, 2016 – 2022)

Chambers Asia Pacific/ Global: Corporate M&A – recommended
(2014 – 2022)

Asia Business Law Journal: Japan’s Top 100 Lawyers
(2020 – 2023)